2010年 06月 07日
放送作家・都築浩。テレビ番組のエンドロールで彼の名前を目にすることは多い。現在『笑っていいとも!』(フジテレビ)、『NEWS ZERO』(日本テレビ)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)など、1週間に15本以上の番組を担当している。 【拡大画像や他の紹介画像を含む記事】 これまで放送作家としてバラエティを中心に関わってきたが、脚本家として連ドラを執筆しており、小説家としてもデビューした。テレビ業界に身を置いて23年。ふだんテレビの裏側にいる男は、表に出てきて何を語るのだろうか。【土肥義則】 テレビが好きになったのは漫才ブームのときで、ボクが中学1〜2年生のとき。多くの漫才師が活躍されていましたが、中でもツービートのビートたけしさんが大好きでした。また『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)という深夜ラジオで、たけしさんがパーソナリティを担当していたので聞いていましたね。たけしさんはずっとしゃべりっ放しだったのですが、それに相づちをうつかのように笑ってばかりいたのが放送作家の高田文夫さん。そのとき初めて放送作家という仕事を知りました。 漠然と「放送作家になりたい」という思いはあったのですが、その一方で「大学で研究者になろう」という気持ちもありました。生まれ育ったのは大阪で、関西の国立大学に合格すれば「研究者」に、東京の私立大学に受かれば「放送作家」を目指そうと思っていました。 そして関西の国立大学は不合格だったのですが、早稲田大学の理工学部に合格。早稲田に入学したものの、3カ月ほどで大学に行かなくなりました(笑)。マージャン三昧の自堕落な生活を続けていて、いつの間にか「放送作家になろう」という夢も忘れてしまいました。友人や知人の家を渡り歩く日々が続き、1年ほど自分が住んでいるアパートに帰りませんでした。そしてたまたまアパートに帰って、たまたまテレビをつけてみると『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)が放送されていました。テレビを見たのは久しぶりだったのですが、ブラウン管に映っていたたけしさんは相変わらず面白かったですね。 そして、その番組で「放送作家募集」という告知が出ていたんです。そのとき「東京に来たら放送作家になろう」という夢を思い出しました。「あー、自分はやりたいことがあったんだ」って。放送作家募集に応募したのは数百人いたのですが、数回のオーディションを経て、最終的に10人ほどが合格。ボクも合格し、『元気が出るテレビ』で総合演出をされていたテリー伊藤さんの事務所「ロコモーション」に所属することに。まだ20歳だったのですが、その日から放送作家になっちゃいました。 ●放送作家の仕事は“コンサルタント”のようなもの テリー伊藤さんの事務所に入っても、誰も「放送作家のイロハ」といったものを教えてくれませんでしたね。なので先輩が書いた台本を見たり、ゴミ箱に落ちている資料などを見ながら、書き方を学んでいきました。少しして『元気が出るテレビ』の会議に呼ばれるようになり、企画を考え、そして台本を書くようになりました。いまもそうなのですが、アルバイトのような感覚で仕事をしていましたね。ただアルバイトにしては、ちょっとカネがいいなあ……みたいな(笑)。 いま振り返ると、とても幸運だったのですが、『元気が出るテレビ』ではすべての仕事を経験させてもらいました。会議に企画を出して、担当を振り分けられてディレクターとともにロケに行ったり、そのあとの編集作業も一緒にやりましたし、もちろんスタジオ収録もちゃんと見に行きます。最初の番組で、テレビの作り方というものを自然と学ばさせていただきましたね。 放送作家の仕事というのは、各番組によって関わり方が違ってきます。会議に参加するだけであったり、企画案を出すだけだったり、複数の放送作家が交替で台本を書いたり、生放送に行かなければならなかったり。いろいろな形があるのですが、ボクはこの仕事は“経営コンサルタント”のようなものだと思っていますね。 視聴率批判をされる方もいらっしゃいますが、やはりこの世界は数字を無視するわけにはいきません。視聴率が悪ければ、番組が終わってしまいます。となれば番組に関わっている関係者が、路頭に迷うことになりかねません。もちろん放送作家が番組のすべてを担っているわけではありませんが、厳しい数字のときには立て直すことも、この仕事の大切なことですね。 <日本テレビで担当した番組> 天才・たけしの元気が出るテレビ!! とんねるずの生でダラダラいかせて! 進め!電波少年 進ぬ!電波少年 世界まる見え!テレビ特捜部 どちら様も!笑ってヨロシク 1億人の大質問!笑ってコラえて 特命リサーチ200X ウッチャンナンチャンの世界征服宣言! ウッチャンナンチャンのウリナリ! つんくちゃん ビートたけしのお笑いウルトラクイズ たけし・さんまの超偉人伝 所・さんまのおしゃべりの殿堂 とんねるずの仁義なき花の芸能界すべて乗っ取らせていただきます!! ハリコミ!らいおん LQ など ●携わった番組が次々にヒット 24〜25歳のときにかけて『進め! 電波少年』(日本テレビ)、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ)、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京)といった番組を担当し、いずれもヒットしました。中でも『電波少年』はとても思い出に残っていますね。25歳のときに番組はスタートしたのですが、放送作家の中ではボクが最年少。ただ最年長でも3歳上の小山薫堂さん。当時、ほとんどの番組では年配の放送作家がチーフ的にいて、若手が何人かいました。しかし『電波少年』は20代の放送作家らが番組を作っていて、そうした若い力が番組作りの原動力の1つになったのではないでしょうか。 番組は3カ月限定という、いわゆる“つなぎ”でスタート。しかしボクたちの間では「どうせ番組はすぐに終わるんだし、好きなことをやろうよ!」といったムードが漂っていました。企業で例えると、元気があるベンチャー企業といった感じ。そして2〜3回放送すると、自分の周囲で番組のことを話題にする人が増えてきて、やがて世の中を巻き込むような盛り上がりを見せていきました。 20代のときは「一生でこんな忙しいことはないだろうなあ」と思っていました。しかしそれは間違いで、30代はさらに忙しくなっていきましたね。 ●いつでもボクは辞めれますよ 30代になって『学校へ行こう!MAX』『ガチンコ』(いずれもTBS)、『ASAYAN』(テレビ東京)といった番組に携わりました。以前のテレビ界では考えられなかったのですが、このころからミュージシャンやジャニーズの方々と一緒に仕事をするようになりました。それまでバラエティ畑の人たちばかりと仕事をしていたので、とても新鮮でしたね。 幸いなことにヒット番組に恵まれて、つねに現状の仕事に満足していました。しかしある人から「ドラマを書いてみないか?」と声をかけていただきました。相変わらず、バラエティは週15本以上抱えていたのですが、2001年に『世界で一番熱い夏』(TBS)の脚本を執筆。2002年に『恋愛偏差値・第一章 燃えつきるまで』(フジテレビ)、2003年に『ムコ殿2003』(フジテレビ)をそれぞれ書きました。 <フジテレビで担当した番組> 水10!ココリコミラクルタイプ ケンカの花道 寺内ヘンドリックス 完全人体 張本 つんくタウン SMAP×SMAP特別編 木村拓哉の同学年 SMAP×SMAP特別編 プロモゲリラ SMAP×SMAP特別編 Smap Short Films SMAP×SMAP特別編 SMAP03→04 SMAP×SMAP特別編 チョナン・カンSP サランヘヨ愛の劇場 SMAP×SMAP特別編 THE TRUE SHOW SMAP×SMAP特別編 TRUE LAUGH〜ホントにあった笑の話〜 SMAP×SMAP特別編 JAPY TV 花王名人劇場 とんねるずの人生歌の通り生きてみました FNS25時間テレビスペシャルドラマ THE WAVE FNS27時間テレビ ウッキー!ハッピー!西遊記 ジャンプ!○○中 まるまるちびまる子ちゃん チョナン・カン2 など ドラマの脚本を書いていたのは34歳〜36歳のころでしたが、体力的にとても大変でしたね。追い込まれたときには、1週間に4時間ほどしか寝ていませんでした。当時はワープロで原稿を書いていたのですが、そのワープロ画面が突然、真っ黄色になっちゃいました。使いすぎて壊れてしまったのかな……と思っていたら、自分の目がおかしくなってしまって(笑)。壊れていたのはワープロではなくて、自分だったんですよ。 あまりにも忙しかったので、そのころは「40歳になればセミリタイヤしよう」と考えていました。バラエティを週に20本近く担当して、いつも面白いことばかりを考えなくてはいけない40代って「イヤだなあ〜」と思っていましたね。そんな40代はカッコ悪いと思っていたのに、いまでは43歳(笑)。当時の夢は全くかなわず、相変わらずです。 仕事がなくなるかもしれないという不安ですか? ないわけではありません。ただ、不安がにじみ出ているフリーランスの人って、どうでしょうか? もし自分が仕事を依頼する立場であれば「あいつはいつもビクビクしているな」といった人に仕事は頼みません。それよりも「あいつはいつも余裕があるな」といった人の方が信頼できるるのではないでしょうか? 相手はテレビ局や芸能界といった巨大な存在。なので「いつでもボクは辞めれますよ」といったオーラを出していないと、この世界ではやっていけないんじゃないかって思っています。 ●小説家としてデビュー 38歳(2006年)のときには『トンスラ』(幻冬舎)という小説を出しました。また同じ年の10月には報道番組『NEWS ZERO』(日本テレビ)がスタートし、その番組にも携わっています。『NEWS ZERO』では立ち上げ時の会議から参加していて、嵐の櫻井翔くんが出ているところを担当。いまのニュース番組は報道一辺倒ではなく、少しエンターテインメントの部分を盛り込んでいるので、そこをお手伝いしてしていますね。 バラエティと報道……と聞くと対極に位置しているように思われますが、放送作家としてバラエティができれば報道もできるのでは、と思っています。実はバラエティというのは複雑で、番組の中で笑わせたり、泣かせたりしなければいけません。しかし報道というのは正確に伝えることが大前提としてあって、笑わせる必要はありません。なのでボクにとっては報道よりも、バラエティの方が“難しい”と感じていますね。 <TBSで担当した番組> ガチンコ! USOジャパン TOKIO−HEAZ ここがヘンだよ日本人 爆笑問題のバク天! ミミセン オトセン ネプベガス ネプ理科 島田検定 クイズ!日本語王 ニッポン!チャ×3 ウッチャきナンチャき タモリのジャングルTV 中居正広の家族会議を開こう! Jホラードラマ2 日本のこわい夜 TBS開局50周年番組 ファイトTV24・やればできるさ! サンデージャポン R30 学校へ行こう!MAX ランキンの楽園 ざっくりマンデー! クメピポ!〜絶対あいたい1001人〜 キミハ・ブレイク など ●放送作家の仕事の面白さ 放送作家の仕事の面白さは「共同作業で何かをする」ことにあるのではないでしょうか。中学生や高校生のときに行われていた文化祭は大嫌いだったのですが、いまは40歳を過ぎて、毎日が文化祭といった感じ。しかも真剣になって(笑)。また自分が面白いものを考え、何百、何千万の人たちに見てもらえるということはとてもワクワクしますね。 ボクはずっとアルバイト感覚で働いてきたのですが、その一方で“職人”だとも思っています。放送作家と聞けば、クリエイティブな仕事をイメージする人もいるかと思いますが、ボクは職人としての側面が必要だと考えています。例えば番組が存続の危機を迎えているときに、どのようにすれば乗り切れることができるのだろうか――。そういったことを考え、実行しなければいけません。クリエイティブなのですが、そこには職人技が必要。その部分はとても大切にしていますね。 同業者から見れば「この番組は、あの放送作家が携わっているな」というのが分かります。例えると、家を見ればどの大工さんが建てたのかが分かるようなもの。ボクの場合は性格がひねくれているので、そうした部分が番組に出ているかもしれませんね。言葉で表現するのは難しいのですが、ちょっとナナメから見た感じでしょうか。もちろん番組によってはディレクターの色が強く出るときもありますし、出演者の色が強く出るときもあります。ただ見る人が見れば「あいつはちゃんとした仕事をしているなあ」と分かるので、そうした評価は大切にしていきたいですね。 ●ずっと全速力で走っている、といった感覚 この仕事をしていると、何かに動かされているのかな、と感じることがあるんですよ。今日会議したものが、来週には放送されて、翌日には視聴率が分かる――。ずっと全速力で走っている、感覚に近いかもしれません。ネズミではありませんが、ずっと走らされている部分はあるでしょうね。また家族でテレビを見たり、1人暮らしの人がテレビを見たり、疲れたサラリーマンがテレビを見たときに、ボクが携わっている番組で笑ってもらえば、少しは社会に貢献できたかなあとも思いますね。 この仕事は外から見ていると華やかに感じるかもしれませんが、実際はそうではありませんよ。ボクの場合、1週間のうち4〜5日は1ミリも外に出ない生活を送っていますから(笑)。自宅マンションの地下駐車場からテレビ局の地下駐車場に着いて、そのまま局の会議室へ。それが終われば、次の局の地下駐車場へ。そのまま局の会議室に行って、終われば地下の駐車場からマンションの地下駐車場へ。そしてそのまま上に上がって、自分の部屋で寝る……。もちろん外が暑い・寒いといった感覚はなく、雨に濡れることもほとんどありません。こんな生活に耐えられる人は、少ないかもしれませんね(笑)。 <テレビ朝日で担当した番組> いきなり!黄金伝説 Q99 ナイナイナ SmaSTATION−1〜6 テレビ東京で担当した番組 浅草橋ヤング洋品店 ASAYAN 名門パープリン大学日本校 ボクが尊敬している人は、たけしさんとテリー伊藤さん。『元気が出るテレビ』で放送作家になったとき、初めての収録でたけしさんにお会いしました。いまから20数年前のたけしさんですから、ものすごいオーラを放っていて、まさに“ギラギラ”といった感じ。そのときはものすごく緊張していたので、たけしさんと話したかどうかも覚えていませんね。 いまは43歳ですが、50歳になればこの仕事を辞めたいですね(笑)。もちろん50歳を過ぎても第一線で活躍されている方はたくさんいますが、ボクはイヤ。もう面白いことは考えたくありません。イタリアあたりに住んで、もっとゆっくりとした生活を送りたい。ま……たぶん実現はしないと思いますが、そういう夢だけでも見させてください(笑)。 ――都築はこう言う。『新しいことになんて、チャレンジしたくありませんよ」と。しかしこれまで経験したことがない仕事であっても、連ドラや小説を執筆したときのように、彼は“動く”のではないだろうか。彼が「面白そう」と感じる限り。(敬称略) <現在、担当している番組> しゃべくり007(日本テレビ) NEWS ZERO(日本テレビ) ハダカっち(日本テレビ) 中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS) ぴったんこカン・カン(TBS) がっちりマンデー!(TBS) がっちりアカデミー!(TBS) 世界笑える!ジャーナル(TBS) 新知識階級クマグス(TBS) G.Iゴロー(TBS) 笑っていいとも!(フジテレビ) など 【関連記事】 ・ 批判されても、批判されても……貧困ビジネスに立ち向かう理由 ・ 報道とは何か? 事件と震災の取材で分かったこと――NHK解説委員・鎌田靖 ・ なぜ無酸素で8000メートル峰を登るのか――登山家・小西浩文 ・ 海外メディアは日本に定着するのだろうか? 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by w3nuhpjh26
| 2010-06-07 16:29
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